よみかき勘定

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【読書】ジェンダーにおける「承認」と「再分配」: 格差、文化、イスラーム|越智博美、河野真太郎

 読みました。

ジェンダーにおける「承認」と「再分配」: 格差、文化、イスラーム

ジェンダーにおける「承認」と「再分配」: 格差、文化、イスラーム

 

 

のっけから衝撃だったのが

「職業化されたどんな活動であっても、それが多数において女性によって行われるようになるとたちまち、自動的に、社会的地位の階層秩序の中で、価値を喪失することになるのである。それに対して、対応する性の交替が反対向きに推移する場合には、当該の活動領域は逆に地位を高めるに至る。どちらの性に属しているかという問題こそが、ここでは、社会的価値評価が記されることになるかを、労働内容の特色から独立して決定する文化的重要性として作用するのである。」(ホネット Umverterilung als Anerkennnung 182)

という一文。

乱暴な言い方をすると

女が働いている職場は賃金が低く見積もられ、

男が多数働いている業界はその逆になる。

また、その変動が発生した場合もしかり。

 

…いや、なんとなく知ってましたよ。そりゃね。

サービス業や育児、介護にかかわる女性の賃金は全く上がらないけど、そこに関わる医療系の企業に勤める男性の賃金は以下略(偏見)

経済社会において女性の立場で働くことはある意味「搾取」が伴い、それによって経済もまわっているという事実も一部あり、自覚はしてたけど文章で確立されるのを目の当たりにすると、どうしようもない倦怠感が襲ってきてしまいしばらくやさぐれました。私の職場は男性しかいないので、周囲大迷惑。

ただ、それが「何故」発生するのか、が未だに私には理解できておりません。誤解を恐れず言えばしばしば「支配される性」となってしまう、また「搾取される性」となりがちな形というのは、私たちが作り上げているのか、はたまた「社会的通念として受け入れる」として私たちが受け入れているのか。

肉体的差異、子が産める・産めないという点でも男女であるが故に均等な平等はあり得ないと私は思っているので、その肉体的差異のみで「支配される性」「搾取される性」もしくは「社会的通念として受け入れる」ことなるのかが、いまだに腑に落ちておりません。社会に出て働いている母数が多い、ということも要因の一つになるかと思いますが、じゃあなんで母数が多く成れないんだ、という堂々巡りの考えばかり出てきます。

どなたかいい文献があればご教示ください。

 

ジェンダーがテーマなので、女性に焦点が絞られた内容ではありますが、その中でも資本主義社会における「承認」と「搾取」についても焦点が当てられ、それぞれの章で語られています。

 

気になったトピックのいくつか

・貧困とホームレスは違う

ヘーゲル「市民社会は浮浪者を生む。浮浪者には「承認秩序」の自尊心も承認願望も欠けている」

・富の蓄積は失業を生む。失業という名の雇用が発生する

・都市部の貧困には注目が集まるが、田舎の貧困は取り残されたまま

・「グローバル化する経済において行かれる恐怖」

・「消費者としての能力」――それすらなかった母の時代

・子供の相対的貧困:二人親世帯は12.6%、ひとり親世帯は50.8%(赤石千衣子)

・「依存労働」「ケア労働」――「みんな誰かお母さんの子ども」(キティ)

・「集団自決」――したがうものと従わなかったものの心理

・「わたしはマララ」マララ・ユスフザイが流暢な英語で台頭することで打ち消される欧米の「罪」

など。

 

久しぶりに、見過ごしてたり許してたり、見ないようにしていた相対する性への感情をくすぐられる内容でした。昔はそれについて毒づいてたものね。若かったわー、自分。