【朝活】難民についてのお話を聞いてきたよ|朝活ネットワーク名古屋
毎週月曜日朝、MY CAFE名駅店で開催されている朝活ネットワーク名古屋に参加してきました。
各分野のスピーカーが登壇して、なかなかないその専門のお話を聞ける朝活です。
今回はタイトルにもあるように、NPO法人名古屋難民支援室の 羽多野 真帆 さんが難民を取り巻く現状をお話してくれました。
もともと、この羽多野さんがスピーカーとして依頼をもらったのが2〜3ヶ月ほど前、なのでシリア難民がここまで話題になっていなかった頃です。
この朝活が開催された数日前に、ドイツにてシリア難民の支援が発表された直後。
会場は満席。
いろいろ興味深いお話もおおかったのですが、かなり印象に残っている幾つかを。
■日本での2014年度の難民認定者は11名
平成26年度の難民申請は5000人です。絶句しました。
1980年代のにニュースになったボートピープルが日本にやってきた時代も100人を超えることはなかった模様。
日本語もわからないまま、なんとか上記のNPOを頼って難民申請しても、0.1%にも満たない人しか申請がおりず、それ以外の人たちは、何年もかけて申請を繰り返し、その年の(チャンスは1年に1回…)認定を待つしかない。
自国民の雇用など労働・犯罪へを未然に防ぐ姿勢が慎重であっても、ちょっとこれは…という気持ちになりました。労働力低下に対して外国人労働者の受け入れ、移民などもニュースで話題になるけれど、日本という国は多分他の民族や文化と共生していくのは難しいんだろうなあと再度認識した次第。(否定的には捉えていませんが)
■同じ国からやってきた難民であっても、味方とは限らない
大きなものでは民族、宗教上、政治的思想の違いで「同じ国」出身であっても命の危険があり、同国の人と交われない、出身地を明らかにできない難民の方もいる、と初めて知りました。亡命先に選んだのが日本であって、国を出たからといって自由になれるわけではない。
■難民として日本にやってきても、日本に永住する人は少ない
これもまた悲しいことですが、日本に定住することを選択した難民は多くないとのこと。やはり独自の文化、独自の言語の中での生活は限界に近いようで、また他国へ旅立つようです。
ちょうど、このブログのインタビューの彼も、「早く平和になったシリアに帰りたい」と話していたのが印象的でした。
出たくなくとも出てしまった母国。多少なりとも、自分の生まれ育ってきた文化の匂いに近いところに帰りたくなるだろうな、という気持ちはわからないでもありません。
UNHCRといえば、やはり緒方貞子さんの印象が強いところ。わたしも緒方さんのご活躍で、UNCHRを知りました。
また、難民と亡命の違いもお話いただきました。亡命、というとどうしても高い地位にいる人が命を狙われて自国外に助けを求める、という印象がありますが、日本語のニュアンスによる違いのようで、法律的な扱いは同じものだそうです。
とはいえ、もう長いこと自国に帰れていないダライ・ラマのお話を前日に聞いて本を買ったばかりなので、またその点についても後日こちらで書こうと思います。
【読書】縁の切り方|中川淳一郎
案外、大事な人は多くない
ということを再認識させられる1冊でした。
実は先に
この本をamazonにて注文していたものの、送り先をなぜか実家にしてしまっていたために中川氏の1冊を読みたくてふらりと入った本屋&コンビニの複合店で購入。一緒に買った本が佐藤優の「超したたか勉強術」なのでこの辺りで私の人生のブレっぷりに対する焦りがご理解いただける方もいるかと思います。
とにかく変な人と縁が多い方は読んでおく方がいい。
私も身に覚えがあります。一時期どう考えてもおかしな人たちが周りに多かった時期があって、例えば
・言いがかりをつけられてこちらが払う義理もないものを買わされる
・謝る必要もない内容で謝罪を求められる
・「お前はいいよね、恵まれていて」的なことをぐちぐち言われる
本の中では実際に殺されてしまった2つの事件も引き合いに出して「出会いがなければ生まれなかった2つの不幸な事件」として、尼崎連続変死事件、筑後リサイクルショップ連続変死事件について記載していますが、これが極端な例かと思われるかもしれませんけども、これもあなたの隣人ですから。
ただ、人生において何度か有り得る人間関係の分岐点というのは、借金を申し込まれることかと思います。いや、金貸してくれって言ってくるような人が周りに多いという状況も大変に問題なのでそれに気がついた方がいいとも言います。ここで金言。
借金は縁の切れ目。貸すなら渡して忘れる勢いで。
これは私も親にも言われて守ってることではありますが、とはいえ人生いろいろあるもので、男に貸した金って絶対返ってこないし、「後から払う」って立て替えたお金も絶対に戻ってくることない、というのは経験上よく理解しておりまして、それでも高額を貸していた中川氏はすごいなあと思うのです。
いかに、「おかしい」人たちと縁を切るのか
中川氏の縁の切り方は
キレ芸
という究極な方法。
読んでいて途中「大切な人、お金を運んでくれる人以外の縁は正直不要」という極論が書かれていて、自分の身にも覚えがあるんだけどこういう言い切りをできる人は過去に人間関係で大きなショックがあった人、具体的にいうととても愛している人を、自分の責任ではないにしろ亡くした時に持つ感情に似ていて「あれ?」と引っかかるものがあったんですがそのくだりも本文には出てきます。
本文中、今、仕事をしている中でも身にしみて感じることの2文がありました。
「人は思いつきで物を言う」
「自分が重く受け止めた物に、他人はそこまで思い入れがない」
人の評価や采配で自分の生活レベルも人付き合いも変えられてしまう不安定なのが人生。その中で飄々と生きていけるように、自分の足元をきちんと見ていきたいなと再度認識した次第です。
中川さんはもともと優秀な方なので自分の経験と比較できるものではないですが、どうしても「いい人」寄りでいてしまう自分を戒めるためにも、時々振り返って読んでみたい1冊。
なんとなくこの本思い出した。
- 作者: ナシーム・ニコラス・タレブ,望月衛
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2008/02/01
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【読書】補完する癖_アドラー心理学「嫌われる勇気」
いろいろな方の書評でちょくちょく見かけていたので、読んで見たかった一冊。
読んでみて、このところぼやっと考えていた「人は補完する生き物」という仮説から、なんとなく輪郭が浮かんだ感じがしました。
◼︎嫌われる勇気
アドラー心理学の入門編ということで、青年と哲学者の対談で書かれています。
会話では哲学者の問いかけにより、青年が気がついたり自身で答えを導き出してはっとしたりしていますよ。
読んで見につまされた若い方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この本を手に取るまえにもやっと考えていたのが
(1)出来事という「事実」に「要素」を追加するのは人間だが、なぜその「要素」が必要なのか
(2)人はなぜ相手の「感情」を仮定した上で持論を語るのか
ということでした。
もやっとしすぎ。
(1)に関しては、別に必要はないのに、何か意味づけをする理由がなぜ生じるのか。とくにスピリチュアル系の人たちは一台前に走る車のナンバーすら運命とするので、そんな厨二病じみた意味づけは極端としても、なぜ、つい意味があると考えるのか、というところに興味が出てきていたのと、(2)に関しては最近殊に女子、その中でも主婦だったり主婦的思考の強い女性と会話していると、どうしても「相手がどう思っている、それに対して私はこう思っている」ということを強調されるのだけど、いや待てそもそもの相手の感情については必要なくね?という気持ちになることが多くて、そもそもが必要ないのになんでそこに対しての自分の感情が必要なのかがさっぱりわからず、聞かされ続ける身としてはどーにか終わらんかな、とうわのそらで右から左へ聞き流すくらいしかできず悶々としていた問なのでした。
ちょうどこの本の前に
◼︎99人の転機
「凸凹した出来事に物語をつけて人生を意味のあるものにしたいのではないか」と占いが求められる理由について述べられていたので、なんとなく「補完する」という必要があるんだな、それは物語にすることで人は理解するんだな、と気がついたわけなんですが
「今をいきること」人生は刹那とくるくるダンスするようなもの
という一節から、
事実は事実のみである、それを意味づけているのは自分自身に他ならない
という当たり前の結論が導きだされ、それを意味づけるのはただ
「今」には意味がない=自分の人生は無意味
という事実を知ることの恐怖から、いろんなものを引っ張ってきたりごねごねくっつけたり間引いたりはみ出させたりしながら無理やりな物語をそれなりな感じに作り上げて、自分を納得させてるんだなあ、という結論に至りました。
なるほどなあ。
「マーケティング不要」論
先日、浜松市にある写真家、若木信吾さんのショップ「BOOKS AND PRINTS」のあるKAGIYAビルで行われた、TOKYO STYLEなどでよく知られる都築響一さんの「独居老人スタイル」の刊行記念イベント、「うなぎパイも電気羊の夢を見るか?」に参加してきました。
タイトルにまで「うなぎパイ」って付くくらいですから、会場に行くまで元勧銀横を通って、当時の支店長の小椋佳に思いを馳せつつ「うなぎのげんきこんきゆうきほんき~」って歌ってたらあっという間に到着。
当日はBOOKS AND PRINTSさんのある、KAGIYAビル4Fにで開催されました。到着したら、部屋いっぱいのいす。40名定員でしたが、見た感じ60人近く入っていたようです。
最初、若木さんが都築さんをご紹介したら、そこから都築さんが2時間話通し。浜松というヤンキーと親和性の高い土地柄から、現在鞆の津ミュージアムでされているヤンキー展の話、今されているスナックへの取材だったり、「アサヒカメラ」なんかで選に漏れた人たちを拾い集めた話とかで、全然終わってほしくない位のボリュームでした。
あまりにも面白くて、都築さんの他の出演の番組なんかを探してみたらDommuneの書き起しなどをされているmiyearnZZ Laboさんで、既刊の「東京右半分」に言及されている記事を発見。
(都築響一)まあ、その通りですね。マーケティングっていうのは絶対にやっちゃいけないことなんですよ。だってマーケティングっていうのは、市場調査でしょ?要するに。調査するってことは、なにかあるものじゃないと調査できないわけですよ。
(柳瀬博一)もうすでにあるもの。
(都築響一)あるものしか調査できないでしょ?そしたらそれは誰かがやってるってことですよね。だから、人と違うことをするには、人とおんなじことをしても儲かるには、あとは資本の差ですから。人と違うことをして生きていくためには、マーケティングっていうのはいちばん外れたやり方ですよ。やっちゃいけないこと。
(柳瀬博一)だから、究極のマーケティングはマーケティングをしないことであるってことですよね。
この辺は、さすがエディターだなあ、と思ってみていたのですが
こちらもたまたま開いてみた「小鳥ピヨピヨ」さんでも、
納豆のまま、「これ分からないとダメだよね」と言いながら、我々日本人は秋葉原を中心としておいしく納豆を食べているんです。その納豆の映像をYouTubeなどで、みんな見ていくと、だんだんみんな「納豆おいしいんじゃないか」という状況になってくる。だから、僕は今、日本はもっと自信を持ってこういうものがうけるんだと(出した方がいい)。つまり、マーケティングしない方がいい。マーケティングすると、そのマーケティングに負けちゃう。やってみなきゃ分からないという方が多分いいんじゃないかなと思いますね。
と、オリコン1位になるグループをバンバン創出する敏腕プロデューサーと、オリコンや食べログにすら上がらないものを ひとつひとつ地方もまわって広い歩くサブカルエディターが、まさかの同じ「マーケティング不要」発言。
秋元さんのインタビューも、2011年の11月、都築さんのラジオ出演も2012年の3月なのでほぼ同時期です。
都築さんはエディターということもあって「google検索で出てきたら負け」とおっしゃるくらい
「人と違うことをするには、人とおんなじことをしても儲かるには、あとは資本の差ですから。人と違うことをして生きていくためには、マーケティングっていうのはいちばん外れたやり方ですよ。やっちゃいけないこと。」
とのことなので、秋元氏の言う「マーケティングしないほうがいい」というのとは意味が違いますが。
だって、ねえ、突っ込む資本が違うもの。
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