よみかき勘定

読んだり見たり行ったり来たりしたことを綴ります

【読書】女性のイライラがスッキリ消える食事|定真理子 桑島靖子

あなたのからだはあなたが口にするものでできている。

女性のイライラがスッキリ消える食事

女性のイライラがスッキリ消える食事

 

 というのはようくわかっているつもりでも、日常の生活ではどう取り込んでいいのかわからなくて、菜食中心、米は玄米、味噌汁は1日1回飲む、など自己流の健康法を実施してましたがなんだかやる気が出ない。倦怠感も高い。人に会うのが嫌。

というときに出会いました。この本。

 

女性ならではのイライラ、ストレスって本当にホルモンの働きに拠ることが多くて、それを自覚したのが妊娠していたときでした。PMSに苦しんでチョコレートもりもり食べて低血糖の状態が続き、気持ちが上がったり下がったりするのを毎月のように繰り返して落ち込む、という 「生理前」が、妊娠してなくなったとき、それはまあ幸せな時間だったのですよ。

そんなわけで、PMSに悩む女性、更年期で悩む女性は占い読むよりこちら読んで食べるもの変えるといいかもです。

 

あと、「無性にたべたくなるもの」はそのときに不足している栄養素を補おうとしてからだが欲する食べ物みたいなので、こちらも合わせて対策されるといいかも。

 

corobuzz.com

どうやらパンが無性に食べたい私は、たんぱく質が恒常的に不足しているらしい。

 

んで、食べ物変えた効果のほどはどうかと。

ちょっとやる気のなさだったり倦怠感だったりも気になったので、「ニューロンを活性化する」という効能があるトリプトファンを含む食べ物、プロセスチーズやバナナをちょっと多めに摂ってみたんですよ。

 

そしたらまあ

 

寝覚めがいい

からだが動く

やる気が出てくる(朝のランニング、復活しました)

ぐずらない

 

と、いままでそんな時間かからない仕事に対しても、にとりかかるのがめんどくさくてぐずぐずしてたお仕事もサクサク進められるようになり、仕事にも好影響。

 

こんなに食べるものって影響するのね、と、今まで敬遠していましたがお肉類も積極的に摂るようにしたいと思います。

 

【読書】脱貧困の経済学|飯田泰之+雨宮処凛

このところ「貧困」をキーワードに何冊か読んでいるので、そのうち1冊。

 2009年と2011年、震災前・後に経済学者の飯田泰之氏と反貧困ネットワーク雨宮処凛氏による対談形式で、貧困が起こる経済状況をワープアプレカリアートの視点から見る、というものですが読んでて腹が立った、というか、呆れてしまった。

 

脱貧困の経済学 (ちくま文庫)

脱貧困の経済学 (ちくま文庫)

 

 

だって、すげえ要求。

プレカリアートが企業、国に求めるものとして

 

1. 最低賃金は時給2000円にしろ!

2. 派遣切りをする前に、内部留保を取り崩すか、経営陣が減給しろ!

3. 派遣の使い捨てをやめろ!

4. 低収入・無収入者に住宅援助をしろ!

5. 生活保護の「水際作戦」をやめろ!

6. 結婚・子育てしたい人ができる社会に!

7. ベーシック・インカムを月15万円よこせ!

8. 全員分の仕事って、ほんとうにあるのか?

 

だそうです。開いた口がふさがらん。 

2009年で「ワープア」が話題になったあたりで書籍化されているものなので、この内容も6年前と考えると、また世情も世間の見方も変わってきているので受け入れられ方も違うかもしれない。

 

なのだが、

実際に派遣で働いてる人、派遣で登録する人がアカン

というのを体験してしまったため、どんだけ夢見がちなんだ、と思わずにはおられません。この書籍に登場してくるような、工場での派遣や低賃金での労働を受け入れている労働者とはまた差が出てくるかもしれませんが、実際に私の体験した派遣社員

NPO等の就労支援施設で住居を提供する場所に居住

・面接用のスーツも持ってなくて派遣会社の担当者と一緒に買いに行く(その金派遣会社持ち)

・仕事初日の研修で、ついていけなくて1日目でトンズラ

・居住元の就労支援施設にも戻らず

・よくよく聞いたら東京とか大阪とか転々としてた

・多分他の仕事にもついていけず毎回逃げてる。そしてワープア

というものでした。

企業は現在、派遣社員というのは派遣先での面接からの採用合否を出すことが禁じられているので、プロフィールを見て受け入れるしかない状況。賞罰自体も把握できない上で派遣社員を受け入れるって、結構ハードル高いと思うのですが、そこは派遣会社の質と信用度を受け入れるしかないけれど、結局派遣に流れて登録している人は派遣でないと働けない何か事情を持っていたりします

彼らは常に流転していて、職業を持って自ら生計を立てる、という考えができないという点ですでに破綻しているのではないかと。そんな人たちに段取りのいる仕事や判断を任せるような仕事ができないのは当然と言えば当然で、最終的には単純作業の仕事がメインになってしまう、という図式が浮かび上がりました。

ということは、いつか機械や外国人労働者などに取って代わられる存在であり、上記のような要求を国、企業にするよりもプレカリアートを支援する層が、彼らを働かせるコミュニティなり企業を建てるほうがよっぽど健全なんじゃないかと考えるのですよ。

でも彼らは「要求」することだけしかしない。なぜか。

貧困に関するルポなどで分かった、貧困層に共通する条件

(1) 全てにおいて受け身

(2) 政治や企業のせいにするが制度の利用はしない

(3) 状況を改善しない(できない)

(4) 家庭が貧困であったり片親であったり、地方で賃金が低い層で育ち、知識が薄い

とくに(4)が曲者で、親の姿をみて育つ子供に、それ以外の世界を知る方法などないが故に「貧困が遺伝する」のだな、としみじみ感じてしまう。

 

だからこそ「貧困を止める」ために投資が必要なのだな、と理解しています。

business.nikkeibp.co.jp

 

特に、「その立場に近い」と自覚した上で「私たちはその中から努力した這い上がってきた」と自称する層は、その貧困に対して「自己責任」を発言しがちな印象があって、TwitterなどSNSやインターネットに触れる時間が長い、テレビなどを恒常的に見る、定時帰宅の正社員たちなど、発言する時間があって「給与は高くないけど他人の生活に茶々を入れる余裕がある」ため、年収差としては倍程度かもしれないけれども貧困層のすぐ近くにいるように思えてしまう。いわば「隣人に救いを求められない」のではないかとさえ思えてくるのです。

そんな救いのない彼らが、貧困から脱出するのに「救いを求められない」「教えを教示されない」状況にあるという図式がなんとなく眼に浮かんできます。

 

正直なところ、「働けない理由」は数多くあると思うけれど、貧困層には「手を差し伸べる」しかないのか。システムを作ることはできないのか。

 

対談をされている飯田さん、雨宮さんともに大学卒。その時点で、彼らの人生ともまた視点が違ってきているはずなのに、そこをあえて支援していくのにはどんな考えがあったのだろうと、思わずにはいられなくなりました。

 

このところ読む本読む本で、「貧困と貧乏はちがう」「ホームレスと貧乏はちがう」というのを眼にしているからか、なぜ貧困から貧乏へランクアップできないんだろう、とつい考えてしまう。

すでに、ランクアップという時点で差別なんだろうか。

【読書】男性論 -ECCE HOMO- |ヤマザキマリ

ライフネット生命、出口会長のブログから早速手にしてみた1冊。

media.lifenet-seimei.co.jp

 

婚活中、というのもはばかられるような年齢になった今でも、既婚男性に口説かれたり誘われることも多く、しかしながら自分の世界を手放さずに結婚したいけど妥協もできないしでも親に孫も求められてそろそろ考えなきゃな〜なんて20代の女性を隙あらば狙う30代後半〜40代独身男性の都合の良さも目の当たりにして「男なんて!!」となっている自分の視点が変われば…なんて淡い期待を抱いて読み始めたんですが、ますます現実を知って自分が殻を張りそうな勢いになってしまいました。

 

ヤマザキマリさんがこの本の中で挙げる男性像は、いわば「無欠」の男性。

まずはローマのお話から始まるこの本。私の通っていた高校は、受験をしてまで進学することをあまり推奨していなかったせいか授業の内容の進みも遅く、世界史の教科書でずーっと「世界三大文明とは」のあたりから「三大発明は火薬・羅針盤活版印刷」のあたりでうだうだと終わっており、美術系だったのにルネッサンスも絵画や芸術に触れるのみであまり深い学習をしてこなかったので、ローマ帝国について簡単にかいつまんで歴史知ることができる、わかりやすい内容でした。この本で紹介される男性は多岐に渡ります。ローマ皇帝であったり、安部公房であったり、花森安治であったり。それぞれ理性的であったり人間味があったりして、でも理数系と文系を併せ持つマルチな才能の男性ばかりです。

 

ただ…時代の違う骨太な男性について、ヤマザキさんが歴史上の素晴らしい男性にどんな風に恋に落ちているのかを読み進めるが上に、なにかにつけ人のせいにして、女性のせいにして自分の世界に閉じこもる現代の日本男性のギャップを感じて、改めて諦めざるを得ないような空気を感じることに…。

その男性論の章の締め括りにあった「オスは狩りに出る。家で飼ってた雄猫が、通りを挟んで向かいの建物にかわいいメス猫をいるのを見つけた途端、高層階ということも忘れて飛び出し落ちて死んだ」の一節で爆笑してしまいました。

ほんと、男の人ってそういうもんですよね…。

 

女性論についても語られていますが、ヒラヒラの服装にしろ完璧なメイクにしろ、甲高い声で無知を装う言葉にしろ「なにしろ日本の女性は男性に媚びすぎ」という厳しいお言葉が書かれておりました。

いや、専業主婦になりたいと、夢見る女子は20代前半までかと思います。20代後半で「あれ?結婚て親ができてるから舐めてたけど、思うほど簡単じゃないぞ?」という現実に気がつき、特別なんの取り柄もない自分が人並みのお勤め人と結婚できるようになるのに、年齢が上がるにつれて現実味が増す専業主婦の狭き門と、共働きや育児と仕事との両立を視野に入れて生活力のある男性を血眼になって探し、ママちゃんに庇護されてなんでもやってもらう、女性に歓待してもらうのが当たり前の男性に、なんとか受け入れらるよう「ヒラヒラした服」であの手この手でステディな関係に持ち込もう、プロポーズしてもらおう、と必死です。

わたしの周囲の働く女性は一人でも全く自立できるし一生生活もしていけるはず。でも子供を産んで家庭を築くための「結婚」をするためには、どうしてもパートナーが必要なのでそんな受け身の男性の所で「俺が選んだ」というテイで男を立てた上でプロポーズまでさせてあげなきゃいけない。相手の気まぐれに翻弄され、二度、三度の挫折を味わっている30代の婚活女子を何人も見ています。

そんな受け身で自分の時間軸とプライド、社会的地位のみで自分を推し量り、でもプライドを捨てられず、20代前半で自分が全て上から物が言える無難な相手で手を打つ日本人男性に対し、諦める日本人女性も見切りをつける日本人女性もたくさんいます。

 でも「だからといって国際結婚に夢を見るな」(当然ですが)ともおっしゃる。

いや、どーしろっちゅーの(笑)

女性から男性を変えていくことはとても大事だとは思うのですが、高齢出産も珍しくなくなった世の中とはいえ、同じ女性として、やっぱり出産までのタイムリミットを抱えた女の子たちが「ヒラヒラした服」で最短ルートを狙うのは、致し方ないことだとは思ってしまうのです。

 

著作自体は、テルマエ・ロマエの映画原作使用著作権が100万円発言で話題となったのちの発行だったこともあり、文末にそのことについて触れられています。

わたしはそのころあまりヤマザキさんの著作や発言を拝見していなかったので存じ上げなかったのですが、こうして詳細を拝見するにつけ、日本の慣習を、海外に住む「同じ日本人」に持ち込んでしまうのは、あと20年くらい続きそうだな、と感じてます。

ローマ帝国も、侵略と拡大を続けながらも、周辺民族や領土となった先の民族とうまく調和したり共存するための政策を持ち、1000年続いた。発展するには「外交」が必要、とこのヤマザキさんの著作を紹介されたライフネット生命の出口会長もよく口にされています。日本もそういうステージに来ているはず。

なので、日本の男性には海外から流入する男性に日本人女性を娶られてくという危機感を感じて、もう少し変わってほしいなあ、なんて夢想する次第です。

 

男性論 ECCE HOMO (文春新書 934)

男性論 ECCE HOMO (文春新書 934)

 

 でもね、マリさん。わたし、「常に語らう相手」が見つかるまで、婚活頑張れるか自信ありません。

【読書】 とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書|ヤマザキマリ

今、これからの生き方を選びかねていて手に取った、というかKindleにて衝動購入。 

 

どんだけ焦ってんだわたし。

 

内容を読んでみると、冒頭が読者の方のお悩み相談コーナー集のような内容だったため「あ、しまった」と思ってましたが、読み進めると北海道出身の骨太な内容が続々続きます。

・自分の中にマザーを持て

・貧乏でいいか悪いかなんて自分の基準。人の言うことあてにするな。

・お金のむなしさや幸せをお金に頼ることの意味のなさ

・「自分がいるから大丈夫」と思えること

・自分に向き合うための、人に死ぬまで見せない「日記」を書く

・まるで自惚れな自己肯定は、自分で自分の面倒を見るサスティナビリティを持っているイタリア人

・人は基本的に自由。勝手にあきらめたり、とらわれたりせずに、自由に動いて下さい。

・男と女は違う生き物。平等を求めるから、男性のできないことが気になって不満が出る。

・男と女は明らかに分かち合えない部分があることを認めましょう。

・人間という平等はあっても、男女平等というのは基本的にないと思っている

・大人ぶる日本人男子、子供っぽさを隠さないイタリア男

・身近なことより社会現象といった遠くにあるものにまず気を向けるのが、男性という生物

・女の方がよっぽどしぶといから、男が威張ること自体、実は気にしなくていい

・日本の若い子たちを見ていると、石になりたいのか、と思う

・子供なんて欲しくなかったけど、できたときは「世の中の孤児を全部うちによこしてちょうだい」ってぐらい母性が目覚めた

・いい子育ては、まず親がよりよく生きるところから始まる

・子供を産むには、2つの覚悟が必要になる。子供を育てる覚悟と、それと同時に自分も幸せにする覚悟

・日記を使ってアウトプットして、自分とのコミュニケーションを図る

・日本人は面倒くさがりなんじゃないでしょうか。恋愛やセックスも面倒くさいからしなくなっていたり

・あなたの悩みはあなたしか解決できません。

・自分を人の目に映してみてはいけない。

 

結論:悩むんなら動け。でした。シンプル。

 

イタリアと日本との比較は文化圏の違いなどもあるんですべて参考になるわけではありませんが、自分の中に核となる『マザー』を持つ、という視点は素敵だなあと。

早速自分でもやってみたいと思います。

また、異文化が交流する中で成熟していく社会、という内容も印象的でした。

日本はほぼ「鎖国」の状態が続き、現在も海外からの出稼ぎ・観光客など異文化交流、受け入れができる状況があっても、共存しているのは一部です。

著者のヤマザキマリさんから見て「成熟した」イタリア社会と、未成熟な日本社会は異文化の受け入れと消化ができているかどうかなのかな、という気もしています。

 

…思ったんだけど、「いつまで女子でいるつもりだ問題」と同様に、「日本人男子」とか「男子たる者」っていくつになっても使うよね…

 

銀の匙」「鋼の錬金術師」の著者の荒川弘さんも同じように北海道出身の女性で漫画家、今仕事を一緒にしているスタッフの若い女性も北海道出身で、同様に腹が据わっててがんがん働く子なので、あの広大な土地が生み出すのは美味しい乳製品とジャガイモだけじゃないんだな、とつくづく感じている毎日です。

 

 

【読書】ジェンダーにおける「承認」と「再分配」: 格差、文化、イスラーム|越智博美、河野真太郎

 読みました。

ジェンダーにおける「承認」と「再分配」: 格差、文化、イスラーム

ジェンダーにおける「承認」と「再分配」: 格差、文化、イスラーム

 

 

のっけから衝撃だったのが

「職業化されたどんな活動であっても、それが多数において女性によって行われるようになるとたちまち、自動的に、社会的地位の階層秩序の中で、価値を喪失することになるのである。それに対して、対応する性の交替が反対向きに推移する場合には、当該の活動領域は逆に地位を高めるに至る。どちらの性に属しているかという問題こそが、ここでは、社会的価値評価が記されることになるかを、労働内容の特色から独立して決定する文化的重要性として作用するのである。」(ホネット Umverterilung als Anerkennnung 182)

という一文。

乱暴な言い方をすると

女が働いている職場は賃金が低く見積もられ、

男が多数働いている業界はその逆になる。

また、その変動が発生した場合もしかり。

 

…いや、なんとなく知ってましたよ。そりゃね。

サービス業や育児、介護にかかわる女性の賃金は全く上がらないけど、そこに関わる医療系の企業に勤める男性の賃金は以下略(偏見)

経済社会において女性の立場で働くことはある意味「搾取」が伴い、それによって経済もまわっているという事実も一部あり、自覚はしてたけど文章で確立されるのを目の当たりにすると、どうしようもない倦怠感が襲ってきてしまいしばらくやさぐれました。私の職場は男性しかいないので、周囲大迷惑。

ただ、それが「何故」発生するのか、が未だに私には理解できておりません。誤解を恐れず言えばしばしば「支配される性」となってしまう、また「搾取される性」となりがちな形というのは、私たちが作り上げているのか、はたまた「社会的通念として受け入れる」として私たちが受け入れているのか。

肉体的差異、子が産める・産めないという点でも男女であるが故に均等な平等はあり得ないと私は思っているので、その肉体的差異のみで「支配される性」「搾取される性」もしくは「社会的通念として受け入れる」ことなるのかが、いまだに腑に落ちておりません。社会に出て働いている母数が多い、ということも要因の一つになるかと思いますが、じゃあなんで母数が多く成れないんだ、という堂々巡りの考えばかり出てきます。

どなたかいい文献があればご教示ください。

 

ジェンダーがテーマなので、女性に焦点が絞られた内容ではありますが、その中でも資本主義社会における「承認」と「搾取」についても焦点が当てられ、それぞれの章で語られています。

 

気になったトピックのいくつか

・貧困とホームレスは違う

ヘーゲル「市民社会は浮浪者を生む。浮浪者には「承認秩序」の自尊心も承認願望も欠けている」

・富の蓄積は失業を生む。失業という名の雇用が発生する

・都市部の貧困には注目が集まるが、田舎の貧困は取り残されたまま

・「グローバル化する経済において行かれる恐怖」

・「消費者としての能力」――それすらなかった母の時代

・子供の相対的貧困:二人親世帯は12.6%、ひとり親世帯は50.8%(赤石千衣子)

・「依存労働」「ケア労働」――「みんな誰かお母さんの子ども」(キティ)

・「集団自決」――したがうものと従わなかったものの心理

・「わたしはマララ」マララ・ユスフザイが流暢な英語で台頭することで打ち消される欧米の「罪」

など。

 

久しぶりに、見過ごしてたり許してたり、見ないようにしていた相対する性への感情をくすぐられる内容でした。昔はそれについて毒づいてたものね。若かったわー、自分。

 

【読書】2100年、人口3分の1の日本|鬼頭宏

少子高齢化」の現実についてもうちょっとちゃんと知ろう、と思って手に取った本。 

2100年、人口3分の1の日本 (メディアファクトリー新書)

2100年、人口3分の1の日本 (メディアファクトリー新書)

 

2011年の発刊ですが、4年たった今でも内容は古くなく、むしろ2100年に現実の人口数と推移を比較したいところ。って私何歳だ。

 

著者はもともと歴史人口学者で、歴史における人口の推移を見る中で「隆盛~飽和~衰退~回復」というサイクルを繰り返しており、日本においては海外との交易がある時期に隆盛し、鎖国をすると衰退する、という現象があるとのこと。

ただ、著者は歴史を人口から推し量るのが主たる研究なため、未来を推測するこの著書は相当な難産だったとのこと。しかしながら平易な表現でわかりやすく、

 

1. このままの出生率で推移した際の日本の人口

2. 人口3分の1の日本の経済、地方、人間関係

3. 移民を受け入れる場合の人口推移とその影響について

 

などのそれぞれのパターンについて書かれていて、すんなり読めました。

以下、気になったトピック 

・社会が成熟すれば人口が衰退するという流れは過去歴史上に何度も発生している

・1974年に日本政府は「人口静止」を謳っている

・過疎地域などの集落の自然死も予想されるが、「積極的な撤退」も始まっている

・ 「家族」という形態の変容が生まれる

・離婚率は江戸時代と同等に

鎖国していた日本は人口が減り、文化の向上もあまり芳しくない

など。

特に「家族」という形態、の部分で「婚姻している家族の出生率はあまり変化していないが、晩婚化、未婚化が進んだことが少子化の原因」とされており、現在進められている子ども手当であったり2人目、3人目の支援はすでに1人以上子供を持つ家庭向けの支援で、その晩婚化、未婚化を未然に防ぐ対策を取っていくべきでは、との指摘が文中にありました。

政府が子供も老人も家庭でみろ、という方針を出している以上、なかなかその部分を改革していくには時間もかかるし難しい部分も多いとは思います。実際に「未婚化」の原因として個人の年収が上がらないので結婚に踏み切れない、という事例はいくつもあるので(まあそんなん大概言い訳ですが)、せめて保育園や託児の認可施設が多くなってもっと安価で利用できるような支援と、子育て〜進学に関わる部分の支援の幅が広がれば違ってくるんじゃないのかなあとぼんやり考えております。

 

並行して読みたいなと用意していた本、ライフネット生命会長兼CEOの出口治明氏の「日本の未来を考えよう」データを元にこれからの日本をひも解いております。この「2100年、人口3分の1の日本」の著書と出口会長の共通点として、お二人とも「海外との交易で文化・経済が活性化する」「日本の将来は明るい」とおっしゃられていて、本を読み進めるの楽しみ。

 

日本の未来を考えよう

日本の未来を考えよう

 

 

  

「ダライ・ラマとの対話」上田紀行著

先日参加した株式会社エバ主催の「エバシンポジウム」にて、ステージの上が綾戸智恵さん、穂高養生園の福田さん、文化人類学者の上田紀行さん、そしてエバ会長、という4人がステージに上がっているのですが、このうち2人がダライ・ラマと直接語り合ったことがあるとのこと。ステージ上の1/2の確率。そりゃすごい。 

ダライ・ラマとの対話 (講談社文庫)

ダライ・ラマとの対話 (講談社文庫)

 

 

諸行無常を是とした日本での仏教徒五体投地で祈りをささげるチベット仏教という、大きい違いがあるという偏見を持っている自分に響いた言葉、

「仏教的思考」で語り合う日本人の精神状態とこころとは、

というのが気になって会場で「生きる意味」と一緒に購入にしました。

こちらの感想はまた別ページにありますので、よかったら。

 

yomikaki.hateblo.jp

この「ダライ・ラマとの対話」の中にも出てくる、日本の若者の物質主義と利己主義について2日目のテーマを語り合っているので、下敷きにまず読まれることをお勧めしまう。 

この本自体は、2007年に2日間にわたってダライ・ラマの居城であるダラムサラで行われたインタビューをまとめたもの。インタビュアーの上田紀行氏の著書、今回のインタビューの下敷きになる上記の「生きる意味」もふくめ、上田氏自身が仏教家たちの支援をしているということもあり、仏教的な内容が多く語られています。

 

本の中で印象的だったのは2点

 ・持つべき執着と持たざる執着

 ・日本人のアイデンティティと物質至上主義

上記について述べたいと思います。 

 

 ・持つべき執着と持たざる執着

 

先述の通り、上田氏が仏教家の支援をしているということもあって、仏教の教えについて語られる部分が多くありました。特に「執着」について。

仏教は持たざる教えをしている、執着を捨てよと言っているのでは?

という上田氏の問いに対して、猊下

僧侶が衆生を救うことに執着せざるならば、何の役に立とう

という言葉をもって答えます。「持つべき執着と、持たざる執着がある」と。

知恵と慈愛をもって情熱的に答えるダライ・ラマに対し、それに比較して…と上田氏が憂うのは、日本の高僧たちの「ダライ・ラマ」に対する敬意ではなく、アイコンとしての扱い。日本人らしい「執着」の形だなあと感じてしまうわけです。

 

・日本人のアイデンティティと物質至上主義

この本のテーマにもなっている「利他主義」は実現するのか、という部分。実際に今の日本でも、「いい人」という人ほど、その犠牲になっている。優しい人はどんどんその優しさを利用されて剥奪される、という印象があります。

戦後の高度経済成長の波にのり、「経済成長という神」が居なくなった今、アイデンティティを取り戻すために何が必要なのか。ダライ・ラマは「本来持っている伝統と、ここまで成長してきたテクノロジーを融合されたら」と提案します。捉え方、見つけ方ガポジディブ(って、軽い言い方になっちゃいますが)。なぜそう言い切れるか、という部分もふくめてダライ・ラマが今まで経験してきた国を追われてからの時間の流れとチベットを思う気持ちが、「日本はまだまだやれる」という言葉に現れるのであれば、その言葉の重みを感じずにはいられない内容でした。

 

自国の民をそのままに、不本意にも亡命し、今も自国を憂いて世界を巡るこの智恵と慈愛にあふれたダライ・ラマの幼少期~青年期に俄然興味が湧き、ハインリヒ・ヒラ―の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」も途中まで読んで本棚に放り込みっぱなしだったのを思い出して、また引っ張り出して読み始めています。

   

セブン・イヤーズ・イン・チベット―チベットの7年 (角川文庫ソフィア)

セブン・イヤーズ・イン・チベット―チベットの7年 (角川文庫ソフィア)